今年5月、カーメロ・アンソニーが正式に引退を発表しました。
デンバー・ナゲッツから始まり、19年間の選手人生で通算1260試合に出場しました。
リーグ屈指のスコアラーとして活躍し、華々しい個人成績を積み上げた一方、ついぞ一度もリーグ優勝を果たすことは叶いませんでした。
そんなカーメロは、果たして本当にスター選手だったのでしょうか?
チームを優勝させることができなかったカーメロの全盛期に焦点を当て、選手として改めて再評価してみましょう。
キャリア全盛期はニックス時代
まず、カーメロ・アンソニーの全盛期についてハッキリさせましょう。
何をもって全盛期とするのかは人それぞれですが、少なくとも、スタッツは嘘をつきません。
ここでは定量的な観点から、カーメロの全盛期を明確にしておきます。
まず、主要4項目のキャリア通算成績です。
①平均得点…22.5点
②平均リバウンド6.2リバウンド
③平均アシスト…2.7アシスト
④平均出場時間…34.5分
※平均は1試合あたりのもの
※プレイオフの成績は加味していません
カーメロが偉大だったかはさておき、リーグでも屈指の選手であったことは、特に平均出場時間から分かります。
平均在籍年数が3年のリーグで19年間契約を勝ち取り続け、しかも毎試合平均34分出場していたというのは、ほぼ常に先発選手であり続けたということの証拠です。
とはいえ、これは「ベンチ選手としての需要はなかった」とも考えられます。
キャリア晩年、カーメロは先発にこだわり続けたと報道されていますが、それ以外に道がなかったとも言えるでしょう。
では、先ほどの①〜④の成績について、ベストシーズンを見てみます。
①平均得点…28.9点/2006-07シーズン(次点で28.7点/2012-13シーズン)
②平均リバウンド…8.1リバウンド/2013-14シーズン
③平均アシスト…4.2アシスト/2015-16シーズン
④平均出場時間…38.7分/2013-14シーズン
※平均は1試合あたりのもの
※プレイオフの成績は加味していません
①平均得点については、2012-13シーズンに28.7得点を記録しており、ほぼキャリアハイタイです。
このシーズン、カーメロは得点王を受賞しています。
加えて、06-07シーズンの直後、つまり07-08シーズンの平均得点は25.7点に落ち込んだ一方、12-13シーズンの直後である13-14シーズンは27.4点と、高い水準を維持しています。
アシスト数では2015-16シーズンがキャリアハイですが、このシーズンには、平均得点が21.8点と、ニックスでのキャリアでは最低に落ち込みました。
このシーズンはパスさばきに躍起になるあまり、1試合あたりのシュートの試投数は13-14シーズンから4本も減りました。
加えて、フリースローの1試合平均獲得数も減少し、平均得点の低下につながりました。
以上から、15-16シーズンが全盛期とは言いがたいでしょう。
以上を踏まえると、カーメロの全盛期は2012-13シーズン、13-14シーズンと言えるでしょう。
この全盛期2シーズンに絞った、平均成績を紹介します。
①平均得点…28.5点
②平均リバウンド…7.5リバウンド
③平均アシスト…2.9アシスト
④平均出場時間…37.9分
※平均は1試合あたりのもの
※プレイオフの成績は加味していません
堂々の成績ですね。
実際、2012-23シーズンには所属チームであるニックスは54勝28敗と非常に好調で、カーメロは同シーズンにMVP受賞レースで第3位になりました。
インパクトのある活躍をしましたが、他のMVP候補に比べてシュート成功率が低く、特に勝利貢献度(Win Shares)の指標で見劣りした形です。
とはいえ、この年には得点王も獲得していますから、全盛期であったことは間違いがありません。
プレイスタイルは超攻撃的!
ここでは上記の全盛期における、カーメロのプレイスタイルをいくつか見ていきます。
アイソレーションの王様
圧倒的なスコアリング能力を持つカーメロ。
当時のニックスには、彼をボール保有者としたアイソレーションのセットが多数用意されていました。
また2012-13シーズンのニックスには、ジェイソン・キッド、レイモンド・フェルトン、パブロ・プリジオーニといったボールコントロールに長けたガードが多く、「可能な限りオフェンスはカーメロで終える」という仕組みが、臨機応変に回転していました。
ハーフコートオフェンスで3〜4度ボールを回して、難しければ残り10秒くらいでカーメロにボールを託し、シューターはウィングやコーナーで待機。タイソン・チャンドラーやケニオン・マーティン、ラシード・ウォレスらビッグマンは、オフェンスリバウンドのタイミングを待つ—これで良かったのです。
すべては、カーメロの圧倒的な得点力があればこそ。
ベストシーズンのベスハイライトは、下記よりどうぞ。
ポストオフェンス
身長が201cm、体重107-108kgの彼はこの頃、PFにコンバートされており、特にローポストでボールをもらうシーンが多くありました。
フェスアップしてジャンプショットでもよし、背中を向けたままターンアラウンドでショットしてもよし、押し込んでいってスピンムーブからレイアップを狙ってもよし。
その攻めのパターンは無限大で、かのコービー・ブライアントに「ローポストで一番厄介な相手」と言わせるほどのスキルでした。
ドラフト指名年が同じということもあり、カーメロはよくレブロン・ジェイムスと比較されることが多かったように思います。
明らかにカーメロに軍配が上がるのは、このローポスト周りのスキルではないでしょうか。
ジャンプシュート
カーメロのプレイスタイルで特に驚異的だったのは、ジャンプシュートです。
ローポストからのターンアラウンド・フェイダウェイやキャッチ&シュート、ディフェンダーに向き合った状態から放たれるプルアップ・ジャンパーなど、ジャンプシュートはまさにカーメロの攻撃のコアでした。
ニックス時代には、「最初は遊びでやり始めた」というクイックリリースのジャンプショットが実用化されていて、どのような状況でもジャンプシュートが狙えるようになっています。
元々そういうスタイルだったわけではありません。
特に3ポイントシュートに関しては、ナゲッツ時代の8シーズンでは1試合あたり2.5本程度の試投数でしたが、2010-11シーズンにニックスに移籍すると、試投数が増加。
2012-13シーズンには1試合平均6.2本打っています。
ナゲッツ時代のカーメロは、こんな選手ではありませんでした。
身体能力に優れ、果敢にリムにアタックしていく選手だったのです。
ナゲッツ時代の3ポイントシュートの平均成功数(1試合あたり)は、何と1本です。
具体例を出すと、2022-23シーズンの得点王だったジョエル・エンビードは1試合あたり平均で3本のスリーポイントを打ち、そのうち平均1本を決めています。
ご存知ない方のため言うと、ジョエルはセンターです。
何が言いたいかというと、カーメロは現代的なバスケットの選手ではないということです。
全盛期だと述べた2012-23シーズンは、まさしくいまの、3ポイントを多投するバスケットへと移り変わっていく過渡期でした。
逆にいえば、現代バスケほどボールが動かず、停滞して1on1が発生することも多かった時代の選手でありながら19年もプレイできたのは、ジャンプシュートのスキルがあってこそと言えるかもしれません。
ジャブステップ
カーメロを代表するオフェンスムーブといえば、ジャブステップでしょう。
ディフェンダーに対してフェイスアップの状態で、ピボットを複数回踏むことで相手の動きを見ます。
このジャブステップの効果はシンプルで、攻撃に対する守備の反応を見定めたうえで、最良の攻撃パターンを選択できるということです。
ジャブステップを2度踏むことで、相手がドライブを警戒し体重を後ろ足に乗せるようなら、スペースができます。プルアップ・ジャンパーでさえ、悠々と打てるでしょう。
ステップバックを挟めば、それはもはやフリーのシュートです。
対して、もしジャブステップをみたディフェンダーがタイトにつめてきた場合は、ドライブのチャンスです。
前のめりになっているのだから、一歩で抜けます。
ドリブル開始とともに大きく相手が後ずさるなら、ドライブをやめてジャンパーでもよいでしょう。
またニックス時代になると、タイトに詰めてきたのを良いことに、そのままポストオフェンスに移行するパターンも身につけました。
ディフェンダーからすれば、ジャブステップの読み合いが面倒だからタイトに詰めたのに、今度は大柄なカーメロのポストオフェンスを守らなければならなくなるということですね。
1試合62点はフランチャイズレコード!
最後に、全盛期時代のカーメロのベストゲームを見てみましょう。
2014年1月24日(2013-14シーズン)のボブキャッツ(現ホーネッツ)戦です。
この日のメロは打てば入るという状態で、まさに“ゾーン”の中の様子。
終始コンセントレイションが高まっている表情で、シュートリリースもゆったり気味で、ディフェンダーが見えていないようでした。
私は当時この試合をライブ配信で観戦していたのですが、終始笑いが止まらなかったのを覚えています。
挙げ句の果てに、コート中央からのブザービーターも決めるのですが、これは完全に乗っているのだと誰もが思ったはずです。
この62得点という記録は、マディソン・スクエア・ガーデンで行われた試合の最多得点記録を塗り替え、今日もまだ更新されていません。
それまではニューヨークの選手ではない、コービー・ブライアントの60点が最多得点記録でしたから、汚名を注いだ形ですね。
NBA公式が、この試合のカーメロの全得点シーンをまとめているので、どうぞ。
ちなみにこの試合、ホーム実況のウォルト・フレイジャー氏が、「なぜシャーロットはメロにダブルチームしないのか不思議だ」と語っていまして、私もまったくその通りだと思っていました。
上の動画のとおり、この試合でカーメロをマークしていたのはマイケル・キッド-ギルクリスト(MKG)というフォワードと、ジョッシュ・マクロバーツというビッグマンでした。
MKGは身長が198cmとフォワードにしては小柄で、201cmのカーメロを守るには部が悪いのは明らかです。
逆にマクロバーツは身長が208cmで、スモールラインナップではセンターを務められる大型の選手です。これでは、メロのジャブステップについていけません。
にもかかわらずダブルチームで補うことをしなかったため、カーメロに62点も取られたのです。
試合後半に入ってようやくダブルチームを仕掛けてきたのは、カーメロの得点が50点を超えてからの話でした…。
まとめ
以上、カーメロ・アンソニーの全盛期でした。
カーメロについては、正直まだまだ書き足りないことがあります。
彼はブルックリンのレッドフックという非常に貧しく治安の悪い街で生まれたのち、ボルティモアという、これまた危険な街で過ごしました。
こうした半生についても、本当はたくさん書きたいのですが…それはまた別の機会にさせていただきます。
ありがとうございました。
<おまけ>史上唯一の3大会連続金メダル獲得を達成
カーメロの解説するなら、オリンピックの話は外せません。
ただ全盛期とはやや話が違ってくるので、おまけとしてまとめます。
カーメロはアメリカ代表として、オリンピック男子バスケットボールに4度出場しています。
初めての出場は2004年で、チームは銅メダルを受賞。
続く2008年、2012年、2016年の3大会連続で金メダルを獲得しました。
これは男子バスケットボールの記録としては史上初です。
4度の出場の中でも、特に優れた活躍をしたのは2016年開催のリオデジャネイロ五輪です。
ナイジェリア戦では14分の出場時間で37得点を記録。これは五輪記録です。
この記事でも述べたとおり、NBAと国際ルールとではディフェンスに大きな違いがあります。
具体的には、オリンピックはディフェンス3秒ルールがないのです。
そのため多くのチームはゾーンディフェンスを採用するのですが、これはジャンプシュートを得意とするカーメロにとってはむしろ追い風になります。
ペイントエリアにビッグマンを配したゾーンディフェンスでは、ディフェンス全体がゴールを中心に縮みがちになるため、バスケットから離れるほど多くのスペースが生まれるためです。
この試合ではカーメロは3ポイントを12本中10本沈め、フィールドゴール全体では16本中13本成功という驚異的な成功率で、チームを勝利に導いたのです。