コービー・ブライアントは言わずと知れた、NBAのレジェンドです。
1996年にリーグ入りし、20年間レイカーズでプレイ。
全1346試合で平均25.0得点を記録しました。
リーグ優勝5回、リーグMVP1回、ファイナルMVP2回、オールスター出場18回、オールスターMVP4回、得点王2回、オールルーキーチーム選出、オールディフェンシブチーム選出12回…。
圧倒的ですね…。
正しくレジェンドです。
彼はレイカーズの伝統そのものであり、練習の鬼でもありました。
とにかく自己を追い詰めてハードにバスケットに向き合う姿勢は、彼の愛称「ブラック・マンバ」から「マンバ・メンタリティ」と呼ばれ、世界中の人々の心を奮い立たせています。
そんなコービーのマンバ・メンタリティ表すエピソードの1つに、睡眠時間があります。
元来、彼はショートスリーパーであったことが知られています。
その睡眠時間は、1日平均3〜4時間とも…。
にわかに信じがたい話ですが、これは事実です!
とすると、ここで1つ疑問が湧きませんか?
「あれだけハードに練習して試合に臨むコービーがこれしか寝ないというのであれば、私たちは寝過ぎなのでは?」
ということで今回は、コービーの睡眠習慣を詳しく見ていきましょう!
私たちは本当に、レジェンドの睡眠習慣を参考にすべきなのでしょうか?
3つの証言からコービーの睡眠習慣を知ろう
テレビ番組出演時の証言
まずはコービーの睡眠習慣について、確かな情報源から整理していきましょう。
ここでいう確かな情報というのは、例えばコービー本人です。
聞き手はアメリカの有名コメンテーターであるスティーブン・A・スミスです。
スミスに対してコービーはハッキリと、「自分はたくさんの睡眠時間を取る必要がないんです」と発言しています。
本人曰く、毎日3〜4時間ほど睡眠をとって、4時30分にはベッドを出るそうですね。
スミスが「4時30分は朝ですか?」と驚いています。
ちなみにこの番組は、 米大手スポーツメディアのESPNが配給していた「Quite Frankly」という番組です。
上の映像は2006年に初回放送されたものであるようです。
代表チームメイトの証言
コービーの異次元さについて、マイアミ・ヒートのレジェンド選手であるドウェイン・ウェイド(2019年引退)が語っています。
これは、アメリカが悲願の金メダルを獲得した2008年の北京オリンピックでのこと。
深夜に現地入りしたウェイドやカーメロ・アンソニー、レブロン・ジェイムス、コービー・ブライアントらは、夜ふけにジムで汗を流してから、それぞれ床に入ったそうです。
とはいえ遠い異国の地であることや旅疲れから、あまりよく眠れなかったウェイド。
結局3時間ほどで目が覚めてしまったので、同じようによく眠れなかった仲間と朝食を取りに向かいました
すると、そこには衝撃の光景が広がっていたのです。
3時間前にワークアウトをしていたはずなのに、コービーは別のワークアウトをすでに終えていて、しかもまた別のワークアウトを始めようとしていたのです。
ウェイドだって3時間しか眠れませんでした。
他のメンバーはいまもぐっすり、ベッドの中です。
それなのにコービーは、おそらく1時間〜2時間程度眠ったあとで、またワークアウトに励んでいたのでした。
その後ウェイドが、いつも以上にワークアウトに励んだのは想像にかたくないですね。
元コーチの証言
バイロン・スコットは、2014年から2016年までレイカーズのヘッドコーチでした。
彼の引退を見届けた、コービーにとっての最後のヘッドコーチでもあります。
2008年のホーネッツ(現ペリカンズ)時代には最優秀コーチ賞を受賞している名将です。
彼は自身のポッドキャストの中で、レイカーズ時代、早朝4時にコービーからメールが送られてきた話を語っています。
コービーからのメールには、「コーチ、明日の練習は何をする?」と書いてあったとのこと。
驚いたスコットは、次のように返信したと言います。
そのうえで、落ち着きが必要なことと、準備しすぎることもよくないことを伝えたそうです。
この頃、レイカーズは低迷していました。
コービーの現役最後の2シーズンで、レイカーズは全164試合中38回しか勝てなかったのです。勝率にして23%でした。
この頃の私はニックスファンでした。レイカーズとの試合日は、正直「もらったな」と思ったものです。
それでいて、辛くもありました。
36-37歳のコービーが、孤軍奮闘していたからです。
現代のトップアスリートの睡眠習慣と比較してみよう
ここではもう少し裾野を広げて、トップアスリートの睡眠習慣を紹介します。
コービーと似た睡眠習慣のアスリートはいるんでしょうか?
レブロン・ジェイムス…12時間
NBAの現役レジェンドであるレブロンは、専属トレーナーのマイク・マンシアスとともに睡眠を非常に重視しています。
シーズン中か否かによって違いはあるものの、しばしば12時間眠ることもあるそう。
アメリカのポッドキャスト「The Tim Ferriss Show」にレブロンとマンシアスが出演した際、2人はレブロンのナイト・ルーティーンを明かしました。
ちなみに、レブロンは睡眠補助アプリ「Calm」を使用しているようですよ!
クリスティアーノ・ロナウド…90分×5回
これまで800以上のゴールを記録し、男子国際大会での総ゴール数のギネス記録を持つロナウド。
彼の睡眠習慣は、日本でも広く知られるところです。
彼は1日に90分間の睡眠を5回行います。
これは世界的なスリープコーチであるニック・リトルヘイルズ氏の提唱する睡眠習慣で、1日に複数回の睡眠を確保する多相睡眠のことです。
一般に私たちは夜に1度だけ眠り、朝目を覚まして活動しますね。
これは単相睡眠と言います。
実はこれ、現代では当たり前の習慣ですが、動物としては当たり前ではありません。
赤ちゃんは一度に何度も睡眠しますし、犬や猫をはじめとする大半の哺乳類は多相睡眠です。
人間も、かつてはこの多相睡眠だったと言われているのですね。
ちなみにゴリラやチンパンジーといった大型の霊長類は、単相睡眠です。
ゴリラは8時間、チンパンジーは12時間眠るとされていて、これには「大型化に伴い寝床を作るようになったこと」が理由であるとされています。
人間が単相睡眠に変化したのは、人工照明の発明がきっかけだそうですね。
大谷翔平…12時間
異次元の二刀流で世界を席巻する大谷選手は、1日に8〜12時間眠ることで知られていますね。
今年に開催されたオールスターゲームでのインタビューにて、大谷選手は次のように語ったそうです。
具体的には、一晩の睡眠が10時間で、二度寝や昼寝で2時間を取るのが大谷流とのこと。
これまでにも大谷選手はメディアに対し、ボディケアでもっと気をつけているのは睡眠時間だと明言しています。遠征の日程などを踏まえたうえで、その日何時にどれくらい眠るのかは、数日前から計画していると言います。
まとめ:睡眠時間は本質ではない
睡眠習慣には個々人の適性がある
ここまでコービーの睡眠習慣と、現代トップアスリートの睡眠習慣を比較してみました。
現代ではトップアスリートほど、睡眠習慣にこだわっていることがわかりますね。
コービーの睡眠習慣がどれだけ異質かがわかるでしょう。
大手メディア「Fobes Japan」の記事には、スポーツと睡眠に関する論文が次のように引用れています。
では、コービーはなぜあの最悪な睡眠習慣で伝説の選手たりえたのか。
それを考えるには、ロナウドの多相睡眠が参考になります。
ロナウドの多相睡眠を解説した「クーリエ・ジャポン」の記事を見てみましょう。
睡眠習慣には、それぞれ適性があるということです。
ここから、多相睡眠同様、コービーにはショートスリーパーとしての適性があったと考えられるのではないでしょうか。
そう考えると、コービーの生活習慣は真似したくともできないことがわかります。
実際に、コービーは自身の睡眠習慣に悩んでいました。
彼は自分の睡眠習慣について、「最悪だった」と語っています
なお2014年のニューヨーク・タイムズのインタビューにて、コービーの睡眠習慣が改善されたことが明かされました。
コービーは「私は変わったんだ。いまは1日に6〜8時間は眠れているよ」と答えています。
これには作家・コラムニストのアリアナ・ハフィントンのサポートが関わっているようですね。
睡眠を犠牲にするに足るものがあるか?
コービーの異常な睡眠習慣は、勝利に対するあくなき熱意の産物だということがわかったはずです。
かつてスコットから「落ち着け」「準備しすぎるな」と言われたコービーは、どう思ったのでしょう。
きっと、納得はしなかっただろうと想像します。
チームが勝てていない状況で、彼はぬくぬく眠っていることはできなかったはずでしょう。
どころか、シャキール・オニールとデュオを組んで優勝を重ねたあの頃でさえ、コービーにはきっと極めて強い焦燥感があったのだと思います。
常に見えない何かに追いかけられているというような、強烈な危機感だったでしょう。
これを一言で「熱意」と片付けてよいのかは、はっきり言って微妙なところだと思います。
コービーの睡眠習慣に関するエピソードからは、(少なくとも私は)熱意よりも、強迫的な執着心を感じました。
こうなるともはや、真似をするとか参考にするという類の話ではないです。
これは単なる習慣付けではなく、生き方の話。
「コービーのように眠ってよいか」ではなく、「コービーのように強迫的なまでに取り組める何かを見つけること」について、私たち個々が考える必要があります。
これが、マンバ・メンタリティの本質なのではないでしょうか。
おわりに
コービー・ブライアントが亡くなって、3年あまりが経ちました。
訃報を知ったあの時の衝撃は、いまでも忘れません。
2000年からNBAを見始めた私にとって、コービーはNBAそのものでした。
ジョーダンやレブロンでなく、コービーこそが私のNBAの中心でした。
好きだったわけではありません。
私はレイカーズファンではなかったので、何度も、何度も!コービーには煮湯を飲まされました。
本当に憎らしかった…。
それだけの強い感情を、いつもコービーに向けていたのです。
それが当たり前でした。
いまでも、コービーが墜落事故で亡くなった日のことを夢に見ます。
その日はまったく仕事が手につかず、まさしく茫然自失としていました。
こんなことが許されるのかと思うたび、事実は変えられないという残酷さに打ちのめされる—この繰り返しです。
いまなお喪失感はありますが、茫然自失としていた当時と違うのは、このブログがあることです。
本記事制作にあたり、コービーの死後初めて、コービーの情報を本格的に漁りました。彼の写真を見るたび、本当に辛かったですが、ようやく向き合えたという実感も湧いてきました。
これからも、コービーのトピックスは取り上げていきたいと思います。
コービーへの最大限の感謝を込めて。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。