インシーズン・トーナメントも始まり、ますますNBAが盛り上がっています。
リラード獲得のためにホリデーを放出したバックスは主にディフェンスで問題を抱え、ハーデンを獲得したクリッパーズは泥沼の6連敗…。
カワイ・レナードの人生で最も長い連敗記録となってしまいましたね。
※11月18日のロケッツ戦でようやく勝利しました!
一方で、生え抜きをコツコツ育ててきたチームは健闘しています。
エンビードとマキシーを有するシクサーズは、ハーデン不在もなんのその。
むしろマキシーの成長を軸に、チームが団結しています。
そして渡邊選手が所属するサンズ!
初めこそ離脱していたブッカーが戻り、チーム全体も勢いづいていますね。
2015年に1巡目13位で指名されたブッカーは、2017年に1試合で70得点を記録。
70得点以上を記録したのは、史上6人目の快挙でした。
19歳の頃からチームの顔であることを求められ、その期待に応えてきたブッカー。
まだ27歳のスコアラーは、フランチャイズプレイヤーとしてリーグを代表する選手になりつつあります。
そこで今回は、フェニックスの至宝、デビン・ブッカーについて詳しく見ていきましょう。
生粋のスコアラーであるブッカーは、決して身体能力頼りではない、技巧派なスコアラー。
身体能力に依存しないスキルは、日本人であっても学ぶことが多いはずです。
その人柄も、愛されるゆえんです。
特にコービー・ブライアントとの縁は、ブッカーならではのルーツでもあります。
技術と人柄。
それぞれ詳しく紹介しますよ!
バスケットの技術
まずは選手としてのブッカーの強みを見ていきましょう。
ここでは特にスコアリング能力に着眼し、中でも①ジャンプシュート、②リムアタックの2つに分けて見ていきます。
ジャンプシュート
ブッカーの武器は、なんと言ってもジャンプショットです。
ミドル、スリー問わず、毎シーズンジャンプショットの安定感は増していて、2022-2023シーズンにはキャリアハイのフィールドゴール成功率49.4%を記録しました。
ちなみに今シーズンのFG %は56.5 %で、しかもeFG %は64.5 %にもなります。
これは全体11位、SGでは2位の数字ですね。
※11月20日時点の数字です
Efective Field Goal percentageの略。3ポイントシュートが2ポイントシュートよりも1点得点が多いことを加味したシュート成功率のこと。すべてのシュートを総まとめにしたFG %よりも、勝敗への相関関係が高く、より正確にシュート力を表すとされる。
シュートフォーム
安定したシュートの要因は、そのシュートフォームにあります。
というのも、ブッカーはシュートシチュエーションごとにリリースポイントを変えているんですよね。
まず基本的なフォームはソフトハンドです。
こちらは変わりません。
現代の主流のシュートフォームですね。
より少ない力で遠くまですばやくボールを放てます。
そのうえで、ミドルシュート。
下記の写真を見てもらえればわかるように、ミドルシュートではリリースポイントは頭上であることがわかりますよね。
ソフトハンドであれば肩上(側頭部あたり)でねらって放つのが一般的ですが、ブッカーはミドルの場合、ここまでリリースポイントを高くするわけです。
続いて、スリーポイントコンテストでの写真です。
アウトサイドシュートは一目瞭然ですね!
一般的なソフトハンドのフォーム同様、肘を小さく折り曲げています。
プレッシャーの少ないシチュエーションで素早く打ちたいロングシュートは、基本通りのソフトハンドのフォームで対応しているというわけです。
ブッカーは、動画で見てもらえればわかるように、ちょうどアゴの下あたりからボールを持ち上げていくんですよね。
窮屈そうですが、本人は一貫してこのフォーム。
ミドルとロングでのフォームの使い分けは、日本人でも十分参考にできる技術ではないでしょうか!
シュートの姿勢
ブッカーのジャンプシュートについては、姿勢制御もその強みです。
どんなシチュエーション、どんな体制からでもシュートをクリエイトできるのは、特に上半身の優れたバランス感覚が要因です。
例えば、こんな写真があります!
体勢が崩れていても、上半身はしっかりといつものシュートフォームを維持していますよね。
これもブッカーの技術です。
リムアタック
ジャンプシュートだけではありません。
ブッカーはボディコンタクトが得意で、トランジションやペネトレイト時には相手に体を当てながらスペースを作ります。
というか、フローターもうまいんですよブッカーは!
まずは下の動画をご覧ください。
シュートタッチが本当に柔らかくて、NBAの大きなビッグマンでも手が届かないほどのアーチを描いたシュートを難なく決めてきます。
これには、ジャンプシュートの技術も関わっていますね。
スペースを開けすぎればジャンプシュートを打たれ、近づきすぎれば体を押しつけられながらドライブされてしまう…。
この二者択一の読み合いは、ディフェンダーにとって悪夢でしょう。
だからこそブッカーは、ドリブルしながら、シュートのタイミングやセレクションを好きに選ぶことができます。
特別足が速いわけでもないのに、さも簡単かのようにスムーズを作ったり、スルスルとリムまで到達できるのは、こういうわけなんですね。
つまりブッカーは、「自分のペースで攻め手を決められるスコアラー」なのです。
これは身体能力に依存した、先天的な特殊能力ではありません。
まさに技巧派のスコアラーなのです!
派手さはないが、見習うところはたくさんある選手なんですね。
フランチャイズプレイヤー
やや例外的にはなりますが、「自分がサンズのフランチャイズプレイヤーである」という自負も、ブッカーの明確な強みです。
2017年に1試合70得点という大偉業を成し遂げてから、「一段階上の選手になった」というブッカー。
以降はチームの顔、つまりフランチャイズプレイヤーとしてチームを背負うこととなりました。
ただの「デビン・ブッカー」という選手ではなく、「サンズのブッカー」になったのですね。
だからブッカーは、コートでの振る舞いに気を配ります。
それはひとえに、リスペクトを得られる選手であるため。
選手として、相手選手からも敬意を向けられるような選手であることを常に大事にしているそうです。
確かに、ハードなコンタクトではしばしば感情的になるシーンもあるブッカーですが、それでも他の選手とは一線を画す、落ち着いた雰囲気があります。
必要以上にレフリーに抗議をする場面はほとんど見ませんし、プレイが止まった際にチームメイトを集めるのは、決まってブッカーです。
「自分がチームを導く」という強い自負が、ブッカーをスペシャルな選手にしているのです!
ひととなり
ここからは、ブッカーの半生を掘り下げて見ていきます。
婚姻しなかった父と母の間を往来し、ルーキーシーズンにはあのコービー・ブライアントからメッセージを受け取ったブッカー。
彼のルーツを探っていきましょう。
ルーツ
ブッカーはアフリカ系アメリカ人の父・マービンと、メキシコ系アメリカ人の母・ベロニカの間に生まれました。
マービンはプロバスケットボール選手で、NBAを含め11年、世界各地を渡り歩きました。
NBAではロケッツに在籍し、オラジュワン、ドレクスラー、キャセールと同じチームでした。
そんなマービンとベロニカは、明確な婚姻関係は結んでいません。
幼少期のブッカーは2人の兄妹とともに母・ベロニカのもと、ミシガン州グランドビルで育ちます。
妹は生まれつき「22q11.2欠失症候群」という難病を患っていたものの、家族にとってはなんら問題ではありませんでした。
マービンとブッカーの関係は日常的なものではなく、2人がパートナーとして一緒に暮らすようなことは、少なくともブッカーが生まれてからは一度もしていません。
ブッカーがマービンに会う機会といえば、夏季休暇中にマービンが住むミシシッピ州モスポイントに遊びに行き、マービンやその友人と家族らと遊ぶ程度だったそうですね。
母を離れ父の下へ
2008年になるとマービンが現役を引退します。
NBAでのプレイ経験もありましたが、最後はヨーロッパでキャリアを終えました。
振り返れば、決して順調なキャリアではありませんでした。
1994年にNBAドラフトにエントリーしたマービン。
指名を得られず、家族とともに会場を去ったあの日を「人生で最悪の夜だった」と振り返ります。
それでも現役にこだわり続けたマービンは、マイナーリーグでプレイ。
1995-1996シーズンにはロケッツと契約し、1996-1997シーズンまでにナゲッツ、ウォーリアーズでもプレイしました。
NBAで契約が勝ち取れなくなってからはイタリアやトルコ、ロシアでプレイしたのち、11年のキャリアに終止符を打って、故郷のミシシッピに帰ってきたマービン。
当時バスケットボールに打ち込んでいたブッカーに対し、「自分と一緒に暮らさないか」と切り出します。
より優れたバスケットボール選手になろうとする息子のための提案でした。
マービンがブッカーを自分の下に誘ったのは、自分がより良い指導者になれると確信していたからではありません。
ミシガンにあって、ミシシッピにないもの。
それが、ブッカーの成長には必須だと考えたのです。
それはたった1つ。
ブラックカルチャーです。
これは、グランドビル(ミシガン)とモスポイント(ミシシッピ)の人口動態の違いとも言えるでしょう。
というのも、細かな歴史的背景は省きますが、ミシガン州は昔から白人の街として知られます。
少し古いですが、2010年の国勢調査によると、ミシガン州の人口の78.9%は白人でした。
人口約1万5000人(当時)のグランドビルは、まごうことなき「白人の街」だったのです。
一方のミシシッピ州は、アフリカ系アメリカ人が人口の約37%を構成しています(2010年時点)。
モスポイントも例外ではありません。
人口約1万3000人。
犯罪と貧困を抱える、「黒人の街」です。
そんなモスポイントにブッカーを誘ったことについて、マービンは次のように述べています。
こうして、当時高校1年生だったブッカーは全米屈指の白人コミュニティーを抜け、かつて父がエースとして活躍したミシシッピ州モスポイントの高校に通いはじめるのでした。
この転校について「とてもタフな変化だった」とブッカー。
しかし、この環境の変化が、今日のブッカーを形成します。
異なる文化があること、身の回りの友人たちは、時に数世代に渡りながら「白人と黒人」という大きな違いを乗り越えてそこにいるのだということを、ブッカーは高校生にして深く学ぶのでした。
父・マービンの下でバスケットボールの腕前を成長させながら、人としても大きくなったブッカーは2014年、ケンタッキー大学に進みました。
カール・アンソニー・タウンズやウィリー・コーリー・スタインら将来のNBA選手らと切磋琢磨しながら、ブッカーはスコアラーとして一層進化していきます。
実はブッカー、ケンタッキー大では一度もスターターになったことがなく、2014-2015シーズンはずっとシックスマンだったんですね!
ブッカーは平均21.5分の出場時間で、平均10得点を記録。
スリーポイントの成功率は41 %で、同シーズンにサウスイースタンカンファレンスのシックスマン・オブ・ザ・イヤーに輝きます。
スターターでないことからプレイ時間は制限されていたブッカーでしたが、NBAのスカウトにとっては十分でした。
2015年、サンズはブッカーを1巡目13位で獲得したのです。
婚姻はしなかった両親の間を行き来し、アメリカらしい様々な文化の違いに触れながら、いつしか「バスケット選手として尊敬されること」を一番に考えるようになったブッカー。
そんな彼の生い立ちに、今日のルーツがあるのでした。
伝説となれ
ブッカーのルーツを語るうえでは、コービーの存在は外せません。
同い頃からコービーに憧れていたブッカーが、実際にNBAの舞台で彼とマッチアップしたのは2016年のことでした。
この年はコービーのキャリア最後のシーズン。
ボールを受け取り、コービーと1on1の状況になったブッカーは、まさにコービーのように動き、コービーのようにフェイダウェイシュートを放ったのです。
あいにくショットは短く、得点とはなりませんでした。
しかしゲーム後、ブッカーと話たコービーは自らこのショットに触れ、「初めてMJ(マイケル・ジョーダン)とマッチアップしたとき、俺も同じことをしたよ」と笑いかけたのです。
試合後、短くフロアで言葉を交わしたコービーとブッカー。
「この後、もう少し話せないか」と切り出したのは、コービーのほうでした。
その場でコービーは、ブッカーのシューズにあるサインをしています。
片方の靴には「To the young one(未来ある者よ)」。
もう一足には「To Book, be legendary(そしてブックよ、伝説となれ)」
※Bookはブッカー(Book)の愛称
この出来事があった翌年2017年。
ブッカーは70得点を記録するのです。
後に、ブッカーはこの言葉をタトゥーとして刻んでいます。
コービーが亡くなったあとも、ブッカーはこのメッセージと共にいきていくのでした。
クラシックな人柄は家族の影響から
これまでブッカーの強みと、いかにしてブッカーという人間が生まれたかを見てきました。
最後にブッカーのパーソナルな側面として、趣味を見てみましょう!
旅行好き
過去のインタビューにて、プライベートもファンから注目されることを「息苦しいとは思わない」と答えたブッカー。
そんな彼の趣味は旅行だと、GQの動画で語っていますね。
これには子ども時代、当時ユーロリーグでプレイしていた父のもとに遊びに行った影響が大きいようです。
今では仕事でも世界各国を回るようになりましたが、それでも趣味としての旅行も大切にしているブッカーでした。
旧車好き
車が好きで、中でも旧車には目がありません。
これも家系なんだそうですが…果たしていまのブッカーほどのコレクションを持つ親族がいるのかは…疑問です。
ブッカーのそうそうたるコレクションは、こちらの動画がわかりやすいですね。
これまでブッカー自身がインスタで紹介してきた愛車たちについて、詳しく解説してくれています。
旧車でないフェラーリを紹介したりしていますが、ブッカーが特にお気に入りのシボレーから、1959年のインパラや1969年K5ブレイザーなどが取り上げられていますね。
シューズ好き
スニーカーの収集にもハマっていたブッカー。
コンバースがお気に入りで、いまでこそ積極的に数を増やすことはしないようですが、以前にはたくさんコンバースのスニーカーを集めていました。
オンコートではナイキ好き!
コート上ではというと、ナイキ好きなんですね。
そこはほら、やっぱりコービーに憧れているブッカーですので!
ルーキーの頃はもっぱら、ナイキのコービー4プロトロを着用していました。
コービーから「Be Legendary」のメッセージをもらったのも、このシューズですね。
以降はコービー5プロトロ、コービー6プロトロとコービーを履き続けたほか、コービーA.D、ナイキズームGTカット2、ハイパーダンクシリーズ、カイリー・ロウ1など、「ナイキオタク」っぷりを見せつけました。
シグネチャーが24年春に発売!!
そんなブッカーは、ついにナイキから自身のシグネチャーモデル「ナイキ BOOK1」を発売します!
あのドレイクがコンサートで着用して、話題になった一足ですね。
米国ではすでに発売済みで、日本では2024年春に発売予定とのこと。
クラシカルなブッカーらしく、奇抜さのない伝統的な見た目で、本当にかっこいいです。
というのも、昨今のスニーカーって結構ユニークな見た目が多くて…。
ヤニスのグリークフリークや、レブロン6なんかは、まさに近未来的です。
もちろんそういうデザインもかっこいいんですけど、ただ私はもうおっさんですし、あんまり派手なものよりはクラシカルなスニーカーがかっこいいと思ってしまいます。
こういう人、他にもきっといるんじゃないでしょうか?
そんなアナタに進めたいのが、BOOK1ですね!
ブッカーの愛称「BOOK」はご存知のとおり「本」の意味もあります。
それを踏まえて、シューズには「CHAPTER ONE(第1章)」の文字が…。
タンにあしらわれた「BOOK」の文字も、よくアメリカの書籍で使われるフォントであるBook Anthiqua調で、書籍らしさがあります。
この辺りもシックで、かっこいいですよね。
これはもう、絶対手に入れます!
実際に購入できたら、この記事に写真貼り付けたいなぁと思っています(笑)
まとめ
以上、デビン・ブッカーの紹介でした。
非常にドラマチックであり、それでいてクラシカルな人柄とプレースタイルが、私には本当にどストライクで…。
みなさんにもブッカーの魅力が伝わっていたら、心からうれしいです。
クリス・ポールがいた頃にはファイナルにも進出し、あともう少しで優勝にも手が届きそうだったブッカー。
今季はレジェンドスコアラーのデュラントや、ついにウィザーズと袂を分かったブラッドリー・ビールとともに初優勝を狙います。
渡邊選手はもちろん、ユスフ・ヌルキッチやグレイソン・アレン、エリック・ゴードンなど、優秀な選手はたくさんいるんですよね。
今季こそ期待したいです。
がんばれブッカー!